抽象とアナロジー

「大意: 抽象化とはもう少し広い範囲の繋がりを意識したいから。そのことによって一つの狭い知識が広い範囲で他の知識と繋がることが出来る。しかし、抽象化とはその「一つの知識を取り巻く広い範囲」を特定の領域に限定する働きをも担い、元々の一つの知識が抽象化された一つのアナロジーとは別の範囲で別の知識と繋がっていくことを邪魔立てする働きをもしてしまいかねない。それを一般的に<バイアス>と人は呼ぶ。

いってみれば<抽象化>とは<群盲象を評す>であり、象の尾を触って「象とは箒のようなものです」と尻尾と箒の共通性から尻尾の現象形態が消えていったとしても、その盲人は象の尻尾しか視野に入っておらず、象(の尻尾)は掃除に役に立つと結論づけるがごとき一面的な思考でしかない。

それにしても「象」を「箒のようなもの」だと抽象化することが「象と掃除」とを結びつけるだけの役割しか担わぬとしたならば、抽象化とは何なんだ?と呆れてモノも言えなくなるのも理解できなくはない。

認識論とイドラ

フランシス・ベイコンの「イドラ」

ジョン・ロック(イギリス経験論)らの認識論(understanding)は観念におけるイドラの区別から

つまり、それは心理学とは初めから対象的な視座や範囲が異なるもの

認識論とは観念が正しいか否か、そして観念が正しいとか間違っているとかというのは如何なることかを問うもので、観念の対象が物質か心かを問うことは無い!

だから心理学と認識論とか関わるとしたならば、その心理学の学説がどうして正しいと言えるのか?を問う場合なのだろうと考える。

 

つづく

証明論

まったく知らない分野の事柄だと話の筋道がどこにあるのかを判断するのにも一苦労する。

法学だとか裁判に関する事実や概念も丸で不勉強で知らない身では『裁判における証明論の基礎』の核心がタイトルにあるごとく「証明論」「裁判における証明責任」だということを解っていくにも時間がかかった。

端的に理解しやすく痴漢冤罪において物的証拠が求められるような事例を想起してみる。

そして昭和23年の「訴訟上の証明は自然科学の用いるような実験に基づく論理的証明でなく、いわゆる歴史的証明」という規定を再考してみる。

「自然科学的でない歴史的証明」というと目撃証言や痴漢の被害者の訴え自体で証明となるということだろうか?

 

対象に焦点が合っていくのにもう少し時間がかかりそうだ。

 

つづく

心証

太田勝造先生の『裁判における証明論の基礎』を買ったものの、この本の核心にある「心証」ということを知らずイメージできなかった。

悔しいので調べ始めたが、辞書に「訴訟上の要証事実に対して形成される裁判官の主観的な認識や確信」と書いてあるだけでは具体的にイメージできない。

それで個々の判決の主文をネットで検索して読んでみた。

そうすると裁判官が被告に対して「死刑」を宣告した事例では「被告人の態度からは一片の良心もうかがうことができず反省の情は微塵もない。」「被告人の犯罪性向、反規範的人格態度は著しく、もはや矯正困難」といった記載がなされており、被告を懲役に処した事例では「身勝手かつ短絡的で酌量の余地に乏しい」「その態様も……残忍なもの」「相当に悪質」「被害者の無念さは察するに余りある」とか書かれている。

そう見てくると「制定法主義」とか「成文法主義」だとか言われている法的な判断において「心証」といった「主観」が関与してくるのは「情状酌量」という「減刑」という限定された条件付きの領域であるように思われてきた。

それは「判例法主義」という他の人が如何に判断したか?裁いたか?という前例に倣うという「習慣」というか「ミラーニューロン的」というか、が法的な判断の本質であるのかも知れない。

そうすると元々は理系で進学していた太田先生が方向転換して法学の道に入って「心証」なんていう自然科学では有り得ない「主観」の問題に直面して、それを出身畑の理学的な観点で扱いたいと欲したことは理解できるにしても、「成文法」だとか「判例法」だとかの複数の人間が共有できる基準を問題視するのではなく、「減刑」という「情状酌量」に関わってくる「心証」をメインテーマとして「証明論」を考えたことは、

 

 

つづく

 

 

 

 

当為の証明

本郷、正門前の井上書房さんで鍼灸の本を数冊買った。f:id:jinsei-tetsugaku:20190215142612j:image

井上書房さんは自然科学系の本を中心に扱っていながらも医史学や東洋医学関係の本も充実してるから度々利用させていただいている。

ついでに伸松堂書店さんで松坂佐一さんの『プラトンと法律』と太田勝造さんの『裁判における証明論の基礎』を買った。
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それというのも、今日は太田勝造さんの最終講義だということを正門を入ったところの立て看板で知ったのだ。
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一ノ瀬先生の『英米哲学入門』では「事実と規範」とされている「である」と「であるべき」の後者の「当為=当に為すべきこと」こそがプラトンの言う「イデア」であり、事実と当為の問題が哲学二千年の課題だったと言ってよいのかも知れない?

それで、私のような素人でも朧気ながら見えてきたのは法学には大別して実定法学(法解釈学)と基礎(理論)法学とがあり太田さんが取り組んでいる「証明」の問題は基礎(理論)法学に該当するらしいということだ。

 

 

 

 

つづく

 

 

 

堂々たる日本人

幕末から明治にかけては私も日本人の端くれであるから最も心に響く時代である。

弟子入りした先生のところで鍼灸の術を勉強させていただくようになってから先生の術技の強烈なインパクトに「私もいつかは海外に勉強に行ってみたい」と年齢も省みずに考える昨今。というのも先生は中国で学ばれた方なのだ。

そんな自身の海外視察への夢を重ねるが如くにユーチューブで「獅子の時代」を見た。

これは、NHKがまだ国民教育というものを大事にしていた頃に山田太一の脚本で作られた番組だが、私は小学校の5~6年生だったかも知れない。

「志士」に「獅子」を重ねているのであろうが、その正にライオンのごとき強靭な意志を描き出した作品に「日暮れて道遠し」(史記)ながらも熱き情熱を再び甦らせんと努める。

オープニングの字幕に「医事考証 酒井シズ」の名を見留め温かい気持ちが沸き上がるが、幕末の医師の「貧乏人から銭など取れるか」といった気概はパリ留学で白人の福祉的活動を見聞したからということになっている。言われてみれば日本人はそもそもが福祉活動などするような民族ではなかったかも知れない?

威風堂々と欧米を視察したという岩倉使節団の如くに私もいつかは海外に治療の勉強に出掛けてみたい。

このところ痛感するに「外界を有りのままに認識する」だけでは人間としては「仏つくって魂いれず」で高村光太郎の「道程」の如くに「自らの道」を作っていくべき情熱を再び燃え上がらせんと望むところだ。

正に「人間は精神であるから自らを尊敬すべし」というところであろうし、観念世界の育成にこそ時間を費やすべきかと考える。

 

斉藤公子

人は人生の旅路の途上で後々時間をかけて解答を得るべき宿題を負わされるもののようだ。

先日の東洋文化研究所での東京学派に関する講演で「駒場哲学カルテット」とも称される「廣松渉坂部恵大森荘蔵、井上忠」の話を聞いてから「事的世界」だとか「関係主義」だとかいったことが一つのテーマとして脳裡に刻みつけられた感がある。

そんな折、今度は「斉藤公子さん」という名を人から聞かされた。何でも東京女子高等師範学校(後のお茶の水女子大学)を出た幼児保育者だったということなのだが、その数ある著書がまた興味を惹き付ける。

『ヒトの子を人間に育てる保育の実践』だとか『ヒトが人間になる』『生物の進化に学ぶ乳幼児期の子育て』。

共著も多い。『自然・人間・保育』(柳田謙十郎と)、『100人の"アリサ"が巣立つとき』(山崎定人と)、……。

どうやら斉藤公子は生物進化の井尻正二や三木成夫と交流があったようなのだ。井尻には斉藤公子を扱った著書がある。そして三木成夫は職場であった東京芸大で野口体操の野口三千三(『原初生命体としての人間』)と懇意にしていたらしい。

私が30代の頃に夢中で取り組んだエクササイズでも生物進化の思想が盛り込まれていたが、そのルーツを辿っていくならば、そうした「人との縁(えにし)が思索を拓く」ような「出来事」だとか人と人との関わり合いの「関係主義的」と呼び得るような過程があったのだろうと想像された。

この件は追って追究して行きたい。