生きがいの探求


f:id:jinsei-tetsugaku:20190518115003j:image学校の帰り道でいつもの古本屋に寄り出口日出麿の『生きがいの探求』を買った。

一冊100円の安いコーナーを物色していて生体内の生化学についての本だとかカンブリア時代の生命進化の本だとか他にも「いいな」と思う本はいくらもあったが、なんとなくその時の私の気分は人間の心を扱ったもののほうを欲していたようだ。

特定の宗教を信仰していない私でも「出口日出麿」という名前を見て「大本教出口王仁三郎の血縁者か?」との想像は働いたが、実際のところ血は繋がっておらず王仁三郎の実娘を嫁にもらった王仁三郎の後継者だとは後で調べて知ったことだ。

こうした宗教家の本を買うようになるとは、私も我ながら成熟してきたものだと感じるが、神だとか心霊界だとかの迷信じみた思考の背後に現れる豊かで深い人間精神の洞察は流石に京大を中退したような高い学識のある人物だと感じるところがある。

大本教ではないけれど、先日も本郷の赤門から白山の東洋大学まで歩く道すがらにキリスト教の教会があって心惹かれる文句が掲げられていた。
f:id:jinsei-tetsugaku:20190518121230j:image

「夜はふけ  日が近づいている

 それだから  わたしたちは  やみのわざを捨てて    光の武具を着けようではないか」(ロマ書十三・十二)

これが新約聖書のロマ書(ローマ人への手紙)の一節であることは後で知ったが、出口日出麿の思想にはキリスト教マルクス主義の影響も読み取れるように思われた。

深い人間精神の魅力は特定の宗派を超えて人の心を掴むものだということを再認識させられた。