革命

某ブログの某者のコメントから普段は考えることなどない「革命」について暫し考える機会があった。

英語の「Re-volution」の和訳に当てられている「革命」という言葉は元々は中国にあった言葉で「天命を新しくする」という意味だったらしい。

つまりは歴史上、経験的に見知ってきた「王朝が新しくなり皇帝が変わる」という現象は運命論者であった古代中国人にとっては「天=神が新しい統治者・支配者を求めた」ことだったようだ。

であるから、歴史は下り、現代の統治者=権力分立された司法・行政・立法のそれぞれの長が任期つきで交代することは「統治権の交代=革命」だと本質的には言うことができ?、中曽根政権から竹下政権へ、そして小泉政権から現在の安倍晋三政権への移り変わりは暴力革命という形を取ることはなくとも本質的には歴代王朝の移り変わりや天子の交代と同じだと見ることも出来る。「歴史は繰り返す」というか、自由民権運動という流れを経た新たな時代の王朝交代だったというのは一元的な思考に過ぎるだろうか?

むしろ、戦後の象徴天皇に対して皇位を排除することが革命だと考える人間は統治権というものを考えないのかも知れない。

そうした「統治権のない象徴天皇」という面からみたならば愛子さま天皇となることはそれ以上ない象徴天皇の在り方のようにも思われる。

日本国家の象徴が「愛」だなんて、天皇陛下も雅子皇后さまも未来を見据えて名付けられたように思えてならない…。

 

生きがいの探求


f:id:jinsei-tetsugaku:20190518115003j:image学校の帰り道でいつもの古本屋に寄り出口日出麿の『生きがいの探求』を買った。

一冊100円の安いコーナーを物色していて生体内の生化学についての本だとかカンブリア時代の生命進化の本だとか他にも「いいな」と思う本はいくらもあったが、なんとなくその時の私の気分は人間の心を扱ったもののほうを欲していたようだ。

特定の宗教を信仰していない私でも「出口日出麿」という名前を見て「大本教出口王仁三郎の血縁者か?」との想像は働いたが、実際のところ血は繋がっておらず王仁三郎の実娘を嫁にもらった王仁三郎の後継者だとは後で調べて知ったことだ。

こうした宗教家の本を買うようになるとは、私も我ながら成熟してきたものだと感じるが、神だとか心霊界だとかの迷信じみた思考の背後に現れる豊かで深い人間精神の洞察は流石に京大を中退したような高い学識のある人物だと感じるところがある。

大本教ではないけれど、先日も本郷の赤門から白山の東洋大学まで歩く道すがらにキリスト教の教会があって心惹かれる文句が掲げられていた。
f:id:jinsei-tetsugaku:20190518121230j:image

「夜はふけ  日が近づいている

 それだから  わたしたちは  やみのわざを捨てて    光の武具を着けようではないか」(ロマ書十三・十二)

これが新約聖書のロマ書(ローマ人への手紙)の一節であることは後で知ったが、出口日出麿の思想にはキリスト教マルクス主義の影響も読み取れるように思われた。

深い人間精神の魅力は特定の宗派を超えて人の心を掴むものだということを再認識させられた。

近藤久美(こんどう・ひさみ)さん

学校の授業で兪募穴治療を教わったときに先生が藤田六朗さんが兪募穴についての仮説を提起していたと教えてくれた。

そのことを調べたいと思いネットで検索していたら昭和37年に全日本鍼灸学会誌に掲載された近藤久美(こんどう・ひさみ)さんの「私のみた兪穴募穴」に遭遇した。

それを読んで兪穴や募穴の研究には藤田六朗さんや芹沢勝助さんといったビックネームの考察があると知ったとともに、兪穴と募穴との関係は経絡的な正経十二経脈の縦方向の関係よりも解剖学的・生理学的に理解できるとデルマトームの横並びの図を持ち出した近藤さんの考えに大いに興味を覚えた。

それで近藤さんの著書を探したら医道の日本から『鍼灸治療室』が出されていたので発注。

近藤さんはどうやら明治鍼灸柔道整復専門学校の出身だから私の師匠と同窓らしい。

兪穴や募穴を含めた要穴は二千年前の黄帝内経に説かれていたらしいが、そのあたりのことを昭和55年の日鍼灸誌に小野太郎さんが「経穴の本質」として書いているのも見つけた。

そして今日では鍼灸経穴は必ずしも黄帝内経の頃のように臓腑や経絡と結びつけずに理解している先生も少なくないらしく、古典的な考えは特に「臓腑経絡学説」と呼んでいることも知った。

この小野太郎さんの所属の「東方会」というのは柳谷素霊とも親交があった経絡治療確立の立役者の一人・小野文恵(おの・ぶんけい)が創設したもので、二代目会長の小野太郎さんは文恵さんの肉親かも知れないと芋づる式に分かってきた。

鍼灸の学会誌が重要な参考資料となると気づけたことは収穫だ。その重要な資料を理解していくための基礎的知識、例えば特定の論者の考えが古典理論にあるのか現代医学にあるのか、それとも中医学にあるのかトリガーなどなのか?といったフレーム理解などを与えてくれているのが教科書を用いた学校の授業なのだと納得できた。

 

 

医学における学と術の直接的同一性

どこかの臨床医さんが医学は医術から区別されるもので、その根幹には科学と技術の区別があるなどという混迷・錯綜した見解を説いていたらしい。

だが、その理解には現代の「学術」というものが「学」なのか「術」なのかハッキリしろなどという混迷に導かれる下地があり、外科学や整形外科学のような「生理学や病理学に基づいて患者に術を施した経験を改めて対象化して学的体系化した」ものを正しく把握できない。

その観念では科学と技術という別々のものが連関していくという「媒介関係」しか想定されておらず、科学と技術が不可分の一体となったものという認識がない。

したがって「外科術学」だとか「テクノロジー」といった把握を理解することが出来ず、現代社会における学術理解から逸れていき、逸脱してしまった己のほうこそが正しいのだと正統的なアカデミーに言いがかりをつけるしかなくなってしまう。

英語で「medicine」という医学も医術もどちらをも指す言葉が不可分の一つのものを正しく表す言葉であるにも関わらず難癖つけるが如くに。それは謂わば「人間というのは肉体なのか精神なのか白黒ハッキリさせろ」と言うがごときの駄論だからである。

しかし、最早、修正は利かないのだ。そのレベルで完成してしまったのだから…。

生活過程

久方ぶりに「生活過程」という言葉を目にした。

この「生活過程」という言葉は恐らくは十代の頃から目にしている言葉だが、時として意表を突いたところで用いられているのに遭遇して困惑するときがある。

それで現代の発達したネットで検索してみると「生活過程」という言葉が用いられている最たるは「看護」という分野らしい。

それは私にとって大いに腑に落ちるものだった。

元々は「生活」という言葉があるのだから、朝起きて歯を磨き食事してから会社で働き、アフター5に同僚と飲みに行き、深夜帰宅してから嫁さんに怒られた、なんて時々刻々変化していく生活の有り様が無前提的=即自的に「生活過程」なのではなく、例えば罹患から回復までの病床での点滴生活からギプスを装着しての車椅子へ、そこから松葉杖での歩行に移りリハビリの筋力補強運動へ、といった平常の社会復帰へ向けての一時的な過渡期の生活の連続を「生活過程」と捉えるのだろう、と納得が行った次第。

それならば栄養価を極度に控えた不味い病院食も永久に続くわけではない「過程」の食事だと理解できる。

看護師さんから尿瓶で排泄補助をうける情けなさも味気ない寝たきり生活も、飲酒を禁止され苦しいリハビリに臨まねばならぬ日々も、いつまでも続くわけではない、退院までの一時の過程だと割り切れれば気持ちは楽にもなれる。

おそらく看護師の看護過程と患者の生活過程とは表裏一体のものだろうが、一体いつからかような考えや用語が成立したのか、看護の古典を紐解く余裕ができたなら調べてみたく思う。

したがって健康な人間が健康を維持するための普遍的な栄養価(たんぱく質や炭水化物、脂質やビタミン、ミネラル)を恒久的に摂取すべきだという普遍的な考えを「生活過程を整えること」だと考えている論者は言葉の使用が適切ではないのだと私には映る。

大体がサンルームの設計など太陽が東から昇って西に沈むという大雑把な規則的な現象理解と周囲の高層建造物への配慮さえあれば「地球と太陽との天体軌道のモデル」などといった大袈裟なところまで話を結び付ける必要などない。

それをサンルームの設計と地動説/天動説の話に結び付けたとしたならば「間違っている学説でもどこかしら役に立つところはあるはずだ」という一般性から牽強附会に「そこに含まれている経験的な事実」が役に立つことと「天動説であるがゆえ」と摩り替えて「天動説でも地動説でも無く全動説・両動説」に行こうとしない「天動説の名を借りた三浦の擁護」という欺きなのであろう。

 

脈診についての覚え書き

某ブログで脈診についてのコメントを読んだ。

そのブログの内容は、おそらくは現代から過去にかけての日本の東洋医学における脈診や中国における脈診の実像を伝えるものではないと思われたのだが、その「論理的能力」だとか「認識論」はては「二重性」といった東洋医学それ自体が全く語られることのない内容には少し考えさせられるところがあった。

それは、そのブログ主の自らが属している学派に対する配慮が感じられ身内に対するイワユル「全人的医療」たる「癒し」を思わせられたから、一面では東洋医学をねじ曲げたような内容も個々人に合わせた心理的な処方という面からは批判的なコメントに窮するところがあった。

それはともかく、私自身は脈診についてはこれから学んでいくのだから殆んどまだ知識は無いが、おそらくは治療のための「証」を導く方法としては「望・聞・問・切」のうちの「切」の一つである脈診のみを取り出して唯一の診断法とする流儀は無いのではないか?と思われた。

それとともに2000年前の黄帝内経にも説かれているという脈診で見ているのは素朴な時代の言語表現に古代人の思考がそのまま表されているとおりに「脈」を見ているのではないか?と考えられた。その「脈」とは「気脈」だとか「血脈」だとかいわれ「気血の流れ」なるものが想定されていて、古代中国人が治療を施すのも「脈」であって「正経12経脈」だとか「奇経8脈」だとか呼ばれているのだろうと思われた。

その四診で求められた「証」には大きく表裏、寒熱、虚実とあって、それぞれが「臓腑」つまりは東洋医学的に考えられた内臓の状態を指しているらしかった。

だから「臓腑」のうちの陰だという「臓」が6臓だとしたならば肝・心・脾・肺・腎・心包の6つに表裏寒熱虚実の六つのどれかが対応し、陽だという「腑」が六腑だとしたならば胆・小腸・胃・大腸・膀胱・三焦の六つに表裏寒熱虚実のどれかが対応するということなのではないか?

であるから東洋医学的に導かれた「証」という、例えば「胃の裏寒虚証」だとかいうのは「病名」ではなく「患者の体の状態」というか、「?」なのではないだろうか?

良く「西洋医学は病気を診るが、東洋医学は患者を診る」などと言われるのも、そのあたりかも知れない。

だから、もしかしたならば古代中国人には今で言う「恒常性」のような考えがあったのかも知れない。脈を診て平常どおりならば「異常なし!」と。

東洋医学の治療で良く耳にする「自然治癒力」だとか「自己治癒能力」だとかいう根本的な事柄も、例えば西洋医学を代表するような?感染症に対して適した薬剤(実は病原菌を殺す微量な毒)を服用するといった「病原菌と殺菌薬との関係」の観点ではなく、人間の体自体が元々備えている治っていこうとする働き(平常に戻ろうとする形状記憶合金の如き働き)が上手く働くように手助けするという観点が東洋医学の体系の中心となることなのかも知れない。もちろんコッホやパスツール北里柴三郎らの功績が偉大であることに変わりはないにしても…。

ここで適切なる例え話をするならば、仮に神戸にT熊某なる御仁がいたとして日々の憤怒の修練の果てに顔が般若の面のまま戻らなくなったとしよう。その般若のご面相のまま原宿の人混みの中を歩いていくと想像されたし。正に平常心が破壊された非常心(異常心=異常人物=不審者)であろう。東洋医学とは、そうした御仁をも平常に戻す医術であろう。

多くの先達の努力のおかげで東洋医学だとか中医学も学会やら様々な勉強の機会が開かれているようだから私のような初心者の藪睨みはこのぐらいにして、優れた先達の下へ学びに行こうではないか!

『標準 組織学』

アマゾンで『標準 組織学(総論、各論)』を買った。一冊1円で送料のほうが高いくらいだから相当な部数の出た本なのだろう。

共著者である藤田恒夫さんと藤田尚男(ひさお)さんは同姓だが共に1929年生まれの同い年のようだから血縁関係はないようだ。

恒夫さんのほうは東京出身で東大卒業後に新潟大学の名誉教授となった方であり、尚男さんは京都出身で京都府立医科大学卒業後に広島大学大阪大学の名誉教授となった方。

でも共に共通するのは理系の研究者でありながらも「文系人間」と呼ばれていたことのようだ。

養老先生なんかもそうだけど解剖学者には文系の思考を合わせ持った方が少なくないのかも知れない。ましてや組織学なんて電子顕微鏡で覗いたミクロな世界をマクロな世界に住んでいる一般の人たちに理解できるように再構成して説明するには文系の思考が求められたのかも知れないし。

『標準 組織学』を読んでいると解剖学の面白さというか「学の真髄」が感じられて喜びが溢れてくる気がする。

藤田恒夫さんのほうは以前、何かのご縁でお名前を記憶しているのだが、何の関係だったのか思い出せないのが残念だ。「骨学」についての本もお出しになってらっしゃるから、昔、骨の勉強していた頃の記憶かも知れないし、もしかしたなら恒夫さんの書いた肉眼解剖の本を持っていたかも知れないが思い出せない…。

『腸は考える』という著書もあるから昔、「肚文化」の調査をしていた頃に生物は腸から始まったなんて知見と合わせて記憶していたのだろうか…?思い出せない…

若年性の認知症の始まりだろうか?

 

つづく