国家論の季節

磯前順一さんが編集した藤間生大の『希望の歴史学』が既に発売されていると先日知ったのだが、定価7344円はすぐに用意できる金額ではないので暫く様子をみることにした。

 

その間に宮本孝二さんの「戦後日本国家の変容」を読み、どうやら滝村の国家論が吉本隆明の国家論に影響されていたらしいと知った。私のような門外漢には全く気づくことも出来なかったが、滝村と同世代の宮本さんのような人には60年代に『試行』で滝村の論文を読んだときに吉本隆明の国家論に強く影響されていることが理解されたようだった。

南郷継正のように自らが三浦つとむのファンとして滝村に接近した者からすると、南郷氏が『弁証法・認識論への道』でほのめかしていた如く三浦の『マルクス主義の基礎』などからの発展が滝村論文であるかに錯覚してしまいがちだが、正当なるルーツを辿っていくと滝村がペンネームに「隆一=隆明No.1」とつけたように吉本隆明の影響下にあったようだ。

さすれば滝村の志向はロールモデルの吉本のように原稿執筆で生計を立てる文筆家と最初から決まっていたのであり、実際に革命主体として政治運動を行う種類の人間ではなかったのだろう。

そのあたりを更に詳しく知りたいと思い、宮本さんの『吉本隆明の社会理論』を注文。

宮本さんによると60年代から70年代前半にかけて「国家論の季節」とでも呼ばれるべき時期があり、吉本や滝村の国家論も実に大きな影響力をもっていたそうなのだが、時代の流れとともに吉本も国家論を語らなくなり、滝村の影響力も失われていく経緯が宮本さんの視点から語られている。

社会学者としての宮本さんの滝村に対する評は私のような門外漢に一つの道標となるものだと思われたが、

「70年代末に滝村国家論を再読してみたものの、70年代の経過の中で、そのような国家論は現実との対応性を著しく欠いているものと思われた。歴史的国家の分析には有用であり、そこにはリアリティが感じられたが、肝心の現代国家論となると徐々に形式的な制度論に陥り、教科書的な政治学の常識を独特の言い回しで厳密に再論しているだけになったという印象を禁じ得なかった。」

「80年代に入り国家論大綱の成立を目指す作業を本格化する頃から、滝村国家論は急激に精彩を失っていったのである。」

滝村の国家論が歴史学者には読まれても政治学者や社会学者から読まれない理由もここにあるのだろうか?

そこを抜け出るには…