ギリシャ哲学の歴史学

古代ギリシアの哲学思想を当時の社会状況に即した情動に根拠を求めたいとの欲求を実現するため歴史学者の師尾晶子先生のお知恵を拝借した。

師尾先生のアルカイック期僣主制の時期を考察した歴史学の論文から、ミレトス派タレスやエレア派のパルメニデスの思索がギリシアペルシャとの政治的関係に対応させられるように思われ…

パルメニデスが生きたイタリア半島のエレアという都市はそもそもがアナトリア半島にあったポカイア(Phocaea)からペルシャ帝国のキュロス大王の支配を嫌い逃れてBC540年に建設したものらしいと理解できたし、タレスの智恵をキュロスが認めたという話も聞けた。

そして、当時のギリシア世界を支配した僣主たちはペルシアの傀儡として活動していたとの情報からパルメニデスの「同一律排中律」といったものは「ポカイア人(ギリシア人)なのか?ペルシア人なのか?」といったナショナリズムというか民族性を問うていく思考に由来するのではないか?との仮説が生じてきたし、タレスの「アルケーは水」というのもペルシア帝国の中枢にあったチグリス川・ユーフラテス川やエジプトのナイル川が帝国繁栄の最根底にあることを認識してのものではないか?との仮説に繋がってきた。

敢えて対立的な図式にするとタレス(ミレトス派)とパルメニデス(エレア派)との思想の違いは「親ペルシア(親キュロス大王)」と「反ペルシア(反キュロス大王)」という情動の違いから生じてきたものだと理解することも出来るかも知れない。それは一方でタレスの「アルケー(始まり)は水」→「生きるためには仕方ないやろ」というペルシア属国を容認する?思想に対するパルメニデスの「ギリシア人(ポカイア人)でありながらもペルシア人でもあるなんて傀儡の中立的立場なんか許されへんやろ」という情動に導かれて同一律排中律の考えに繋がって行ったものであり、李香蘭山崎豊子のような「二つの祖国」なんざ認めへんとの空間的時間的な観念やったかもしらへん。

そう考えてみるとパルメニデスが祖だとも言われる「論理学的思考」というのも何や絶対的なものやない気が増してくる。絶対的・普遍的というよりも、そうした考え方が生じ適合する特定の事象・事例があったのだと思われるところだ。

そうすると、アリストテレスのように「タレスのような前ソクラテス思考は自然哲学なのだ」などとは断定できなくなってしまうが、それも本格的に調査してみないことにはハッキリしたことは言えない。

とにかく、この件はヘロドトスの『歴史』やパウサニアスの『ギリシア案内記』、プリニウスの『博物誌』は読んでおかなければならないようだ。

そしてA.D.ゴッドリーやリチャード・スティルウェル他の古典研究者たちの論文も…