シェリング協会

シェリング協会に行ってきた。

色んな論者の先生から多々教えられたことがあるが、最後の「新らしい実在論」のシンポジウムで感じたことを覚え書きしておきたい。

それは、配布された資料に記載された一節が私の目に止まってのことだ。


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資料は、今年の6月にマルクス・ガブリエルが来日した際に浅沼光樹さんがインタビューをした記録だった。

私は、このマルクス・ガブリエルについて詳しくはないが、過日、國分功一郎さんと対談したとかいった記事を見たから、何だか話題となっている新進気鋭の哲学者なんだろうとは理解していた。

そのガブリエルの「新しい実在論」への私の理解は未だに十分なものとは言えないが、浅沼さんがインタビューした記事でガブリエルが主張していた「国民国家を超える」という辺りに興味を覚えた。

「近代の哲学者は国民国家を超えようと考えてきたし、私もそう考えている。」というガブリエルの「国民国家」というのは、ナチス・ドイツなんかを挙げて差別や排他性を非難している文脈からして「君主国家」に対する「国民国家」つまり主権の所在が「専制的」か「民主的」かを指しているのではなく、「国民国家単一民族国家」の意味で述べてるのだと解釈した。

つまり、ガブリエルは単一民族以外を国民として受け入れないのは差別ないしは排他的だと主張してるのだ。考えてみればガブリエルはドイツ国民、ドイツはメルケル首相の方針で移民の受け入れを敢行して、その結果、経済的に行き詰まっていると聞く。

敢えて穿った?解釈をするならば、ガブリエルは「哲学者なら単一民族国家を超えてEUのように民族を超えた共同体を作って行こうとするものなのに、あなたは日本人として移民を受け入れようとはしないのかい?」とインタビュアーの浅沼さんに暗に日本非難を示唆してるとも受け取れた。

というのも、日本人としての国籍を手に入れるには日本人から生まれるか、日本人と結婚するかの出産か結婚かしか無く、外国籍の人間が長く日本で働いても永住権は手に出来ても国籍は得られないと聞いたことがあるから。移民は日本は認めていない、と教えられてきた。

私はこのガブリエルの発言から、国家の枠組みを超えて移民を受け入れることで経済が行き詰まっているヨーロッパの現実をガブリエルの実在論が反映していないことを察知して、他国の人を他国の人として大事にすることを「差別」であり「排他」だと認識する偏狭で非現実的な認識に、ガブリエルの「新しい実在論」が系統的に破綻する予感を感じずにはいられなかった。

人間が人間として存続し続けることの理論基盤となれない実在論が、「食べられない」という現実に直面することで「人間として実在し続けられない」という帰結に導く実在論が、「人間としては死んでも死体という物体として存続し続ける」なんて強弁する実在論存在論が系統性に耐え得る哲学原理となれるとは考えられなかった。

まあ、これをスタートにしてガブリエルの学説を緩く見つめて行きたい。

 

 

つづく