滝村に対する海外の評価

滝村の著述を理解するには他の多くの方々の意見が参考になると考えた。

そこでネットで検索すると決して多くはない人数ではあるが滝村の著書について語っているコメントを読むことが出来る。

「読んでも難しくて分かったようで、やっぱり分からない」なんて正直に述べている人もいて、それは私も共感するところだが、具体的な事例から帰納的に形成された論述ではないからではないかという感じは否めない。

そのへんの滝村の「判断の大味さ」といったら良いのか「痒いところに手が届かない」「隔靴掻痒」な物言いは『世紀末「時代」を読む』や『ニッポン政治の解体学』のような時事論考を読んだときに顕著に感じたものだ。

滝村はヘーゲルマルクスを社会科学の方法の双璧として挙げているのだが、やはりそこが、そのヘーゲルマルクスの方法で包もうとするところに難解さや難渋さが現れてくるような、スッキリとした理解を困難にしている原因があるように思えてならない。

ネットで遭遇したサイトには「海神日和」というブログもあって、これは実際に滝村の友人でもあった木村剛久さんという翻訳者の方が作っているもので、そこに滝村のことを「世界的な学者」だと評している箇所があった。

滝村をこのように「世界的な学者」だと評したのは吉本隆明だと聞いたことがあるが、では実際にどうなのだろう?と「Ryuichi Takimura」でネット検索してみたら出てきたのは英文の丸山真男に関する研究書2冊につけられた参考文献としての『ヴェーバーと丸山政治学』と『ラスウェルと丸山政治学』のタイトルだけだった。

ちなみに吉本隆明のほうはフーコーと対談したせいもあってか『共同幻想論』のフランス語訳が出版されているのを知った。

海外では滝村よりも丸山真男のほうが著名であって、滝村は丸山に関して言及してる日本の学者がいる、程度の扱いのようだ。

滝村の著書の更なる理解を促してくれる対立物というか他者なるものは佐々木毅さんの『プラトンの呪縛』や『よみがえる古代思想』なのかも知れない…