モナドと予定調和

ライプニッツに真っ向から取り組む前に、彼の説いた「モナドと予定調和」という考えについて暫し夢想してみる。

ライプニッツ(1646~1716)はジョン・ロック(1632~1704)と同時代の人。ということはスピノザ(1632~1677)とも同時代。カント(1724~1804)は少し後の人だね。

モナドというのが何をモデルにしてるのかは諸説あるのかも知れないけれど試みに「個々の人間=個人」だと考えてみたい。例えば生物を構成している個々の細胞だと考えることも可能だとは思うけど今はそう考えない。ライプニッツが政治家だったということもあるし。

そうした「モナド=個人」が未来に向けて合意的な和合へ向かうのが「予定調和」だと考えてみる。生物の細胞だったら未来でなく現在進行形で調和してるわけだから「予定」調和でなく「現在」調和だし。

ライプニッツの「予定調和」という考えは時代的な背景としてフランスのルイ14世侵略戦争による領土拡大を行っていたことやロシアのピョートル1世がツァーリズムを行っていたことにあると思う。

そして酒井潔先生の論文「ライプニッツにおける「慈愛」(caritas)の概念」にあるが如くライプニッツには愛の観念があったらしい。

だから現代の言葉でいえば「落とし処」というか、他国との合意に基づく共生を志向していたのが「モナドと予定調和」という考えではないかと考えた。

これは同じ時代に政治的な対象を思索したジョン・ロックと比較して考えるべきものかも知れない。あるいはスピノザにも『国家論』という著書がある。

だからフランスやロシアに対するドイツの独立した主権ということを考えるにあたり「モナド」という観点は必然的だったのではないかと考えた。まあ、そうすると「モナド」は個人ではなく「個々の国家」ということになるのかも知れないが…。

その根幹に来るのはやはり「人間の活動」としての「仲良くやりたい、共生したい」といった「欲求」で、そうした心理・情動に導かれた活動という意味ではやはり「生体内の細胞」とは違うイメージだということになる。

そしてライプニッツが生きたのは神聖ローマ帝国◯◯選帝候領…。ウィキペディアによると選帝候というのは

 

 

つづく