鍼灸あるいは周辺文化への雑感

あらかじめ何らかのテーマやタイトルを付して記述をしていくことは論点を整理して論理の道筋を明らかなものに再構成していくわけだから読むほうも読みやすいかも知れないが「書くことは考えること」(パスカルの言葉らしいが(笑))との「自分史上初」の未知なる筋道を発見するべく思索の役割をも担った記述の場合は概してそうしたタイトルが邪魔立てすることが多い。

要するに未だ確固とした論点を掴めていないことの告白なわけだが、そんなこともあり何らかの「テーゼ」の形でのタイトルはつけずに書き進めたい。

鍼灸の学校への入学が決まり4月から通学が始まるわけだが、それを待てずに都内の勉強会に入れていただいた。これまでの経験から学校で解剖学や生理学を地道に学んでいく過程は数年後の臨床での判断に結びつき開花していくものだと想像するが、既に開業し臨床の場に立っている先生方の勉強会は更に現場に即した実践的な内容であるから基礎からゴールまでの道筋が手っ取り早く見通せるように思われたのだ。

その通りに講師の先生も私のような初心者が想像しがちな「鍼灸の技術をモノにするには10年単位の修業年数が必要なのでは?」との恐怖感?を軽減すべく「何事も徹底的に深めようとすれば10年単位という話にもなろうが実際に臨床で使えるようになるのにそんなに時間は必要ない」との話をされていた。

まあ、参加2回目の先日は「脈診」をやったわけだが、確かに「脈」には「浮」だとか「沈」だとか「数(さく)」「遅」とかいった触知し分けることが出来る質の違いがある。これは「わざ」として身につけなければとの思いを強く感じさせられた。

そして、脈診で触知した脈の質的な違いから何を判断するのか?というところまでは今回はハッキリとは進まなかった(ように私には感じられたが、既に資格を持ち開業されてる先生方には違うように映ったかも知れないが…)。が、何となく「判断する材料の一つとして診る」のだろうな…ということが感じられた。言うなれば「尿検査で肺炎菌が検出された→肺炎だ」というような「1対1の対応」をするような絶対的な判断でなく、既往歴で過去にどういった疾患の経験があるか、家族構成はどうか、趣味嗜好は何か、といったそれぞれそれ一つの情報で医療的な何かを判断することは出来ない諸々の情報と合わせて必要な判断を下していくといった現代医師もやってることのイメージか?

そうした「臨床推論」というか「診断確率」「検査前確率」というかを高めていく過程の一つとして「脈診」が位置づけられるのだろうと想像した。

先生の「臨床推論」の本が春頃に出るという話だったが、そうした「事前の予測」だとか「確率」の話は「経験論哲学」にも通じるものだと興味深く思われた。

ちなみに、「鍼灸と科学は相容れない」なんて話をその勉強会以外のところで耳にしたが、それはやはり「ウイかつノン」というか何をどういった視点で見ているのか?語っているのか?で違ってくる話であるから「鍼灸と科学は相容れるか否か」ということを一つのテーゼとして絶対的な一つの解答を出すことは不可能だと思われた。

というのも鍼灸治療というのが多様な要素から成る複雑なプロセスをもつものだから、端的に言ったら「鍼灸師は科学者か?」といえば違うわけで、特に臨床で治療することを強く意識している専門学校の生徒ならば設備費用が大きく必要となる科学的研究をしようとは普通は考えないだろうし、何よりも身近にあってそんな高価でない治療費ということを眼目としてる治療家ならば出費した研究費を回収するために治療費が高くなることは望まないかも知れない。

また、鍼灸治療には「薬物の治癒効果」のような薬理作用・生化学的作用のような面とは別に「ケア」の面があり、そこには温かい心情をもった治療家と患者との心と心の関わりのような部分がある。そこが臨床現場に立つ鍼灸師の中に「科学的研究」若しくは「理数系」を好まない者がいる理由の一つかも知れない。

同じような「ケア」の領域である看護でも現場の臨床家と研究機関の研究者とでは志向性の違いがあるようだ。

しかし、間違いなく鍼灸という領域でも科学化の方向性は深まっていると思われる。それが大学や大学院から提出される研究論文だ。

だから先の「鍼灸と科学は相容れない」という話を聞いてボヤいている人物は大学院ならぬ専門学校へ行き、その上なお「古典の研究会」などにいって素門や霊枢の研究をしてる先生をつかまえて「科学と相容れない」などと言われて嘆くこと自体が不適切なのではないだろうか?

私の知ってる鍼灸を科学する先生のところでは被験者の生理学的なデータを取るための高価な機材が置いてあったが、間違いなく治療家個人で購入できるような金額の機械ではない。

また、「脈診の科学」なる論文を書いている人を調べてみたら「鍼灸師」ならぬ「工学者」であった。つまり、そうした研究というのは「医工学」であり、臨床現場に立つ鍼灸師のやる仕事ではなく医学に関わる理工系の科学技術者がやる仕事というような話だった。

ちなみに、私の知ってるN先生の「科学的鍼灸」の研究は鍼治療の生理学的な実測データに基づいていたのだが、これは例えるならば「歴史的文化の無いアメリカ的な研究」と言って良いのかどうか…?

藪内清さんの『中国古代の科学』(1964年)のように「東アジアで構築された東洋科学」と言って良いのか分からないけれど、例えば「心は舌に開竅する」とか「肝は目に開竅する」といった経験的な知見(換言するなら古代文化的な先入観)をエビデンスあるものとすべく科学化を試みることは、カントの「コペルニクス的転回」よろしく何の仮説もなくデータを取ることとは違ってくるのだろう。

だが、「科学=西洋科学」であるかに東洋が蔑視されていた時期のアンチテーゼとしたならば、西洋文明と交錯する以前は全くの未開の土着民であったかの不名誉を払拭し過去の名誉を取り戻すために「東洋科学」なる呼称も必要だったかも知れないが、情報が共有され今や中国も分子生物学的な研究をしてノーベル医学生理学賞を狙っている今日、科学は「現代科学」となり医学も「現代医学」となっているから「西洋科学と東洋科学」との区別は必要なものとは思われない。

だから今ここで「東洋医学とは何ぞや?」との問いに解答するとしたならば「<古代から中世にかけて>の中国もしくは東アジアで患者を治療する際に用いられた医学的な知見、思想」とでもいった「時代区分」という時間的な観点が「東アジア」という場所的・空間的な観点とともに必要とされるだろうし、現代でも学校教育の現場で「東洋医学概論」といった形で指導されている現実に関わっては「明治期に西洋医学の体系内に含まれないものとして既得権としての開業権を許可された鍼灸師の判断の拠り所」だとか「鍼灸治療の拠り所となる西洋医学的な知見は無いがゆえに江戸期以前のまま残されている鍼灸治療の指針的な理論」だとか「明治維新後に日本に導入された蘭学(欧米)の医学と区別される、蘭学導入以前の日本の医療指針」といった歴史学的な知見を多分に含んだものとなると考える。

つまりは、ここで「東洋医学とは何ぞや?」との問いへの解答の核心部分は「人体や治療について如何に考えているか?」という医学の中身(換言するなら時空間を等閑視した蘭方医学漢方医学との内容の違い)にあるのではなく、それの社会的な位置づけという歴史的な変遷の中にある。

そうした時間軸・歴史性からなる「東洋医学なるものの社会的な位置あるいは時期」という観点が、古代から現代まで連綿と存在し続けているかに見える「東洋医学」なるものを普遍的本質的・形而上学的に捉えようとの姿勢に歯止めをかけて実存的で現象学的に東洋医学を把握することに向かうと確信する。