東洋医学と東洋思想

頼んでおいた藪内清さんの『中国古代の科学』(1964年)が届けられた。
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とても示唆に富んだ魅力的な知見が綴られている。

いくつかピックアップしてみると

 

①「近代科学の開幕は十六世紀のヨーロッパからはじまっていて、十九世紀の後半から科学と技術とが密接なつながりをもつようになり、たがいに因ともなり果ともなって、科学と技術は加速度的な発達をとげて現在にいたったのである。……十五世紀以前のヨーロッパと中国との科学技術を比較するならば、両者のへだたりはほとんどなく、かえってヨーロッパは中国からの恩恵をかずかず受けてきたのである。ヨーロッパの新しい誕生が、イスラム世界からの遺産によることが多かったことは、すでに多くの西洋の学者によって注意されてきた。ところが中国の科学技術が世界の文明に果たしてきた役割については、西洋の学者はもちろん、中国に隣りあって、しかも過去に中国文明の恩恵をふんだんに受けてきたわれわれ日本人さえも、正当に評価しようとしない。中国人の才能は科学や技術にむかないという放言が行われたのも、わずか二〇年前の日本人の口からであった。」

②「今次の大戦後に成立した新中国は、共産陣営にあってソビエットと対立する二大強国となった。もはや世界の人々は新中国を無視することができなくなった。科学の面でも中国人学者のなかからノーベル物理学賞の受賞者が生まれており、今後における世界の科学技術に対する中国人の貢献はじゅうぶんに期待できる。」

③「過去における中国の科学技術の発展は、また世界全体の科学技術史の展開に大きく貢献したことを忘れてはならない。過去の中国人は、けっして恵まれた環境にあったといえないが、ほとんど独力ですばらしい科学と技術を育て、それを基礎にした文明をきずいてきたのである。こうした科学と技術の展開は、また中国史自体の研究にも欠くことができない。」

④「新石器時代から金石併用時代にかけては、他の古代文明と同じように、中国もやはり原始社会の後期にあり、氏族を単位とする共同社会であったらしい。農耕は行われていたが、その収穫は成員のあいだに分配され、余剰の蓄積とてほとんどなかった。ところが殷の時代になって青銅器による優秀な武器が登場してくると、原始共同体は崩壊し、かなり広い地域を支配する国家が誕生することとなった。この国家では、征服した多数の他部族を奴隷とし、これらを使役して生産に従事させた。いわゆる奴隷制国家の誕生である。」

 

②と④から私には連想されたことがある。それはこの本が出版された1964年という年代とも関係するのだが、1956年にソ連スターリン批判がなされ1972年に日中国交正常化が声明される間の時代だということで、著者である藪内さんはマルクス主義者、それもソ連スターリン主義よりも中国の毛沢東主義に近かったのかも知れないという連想だ。正に「時代の学問」というか、そうした中国共産主義への応援・肩入れの情動・政治性がヨーロッパに対して中国の科学文明が優るとも劣らなかったということを明らかにせんとの学的信念に繋がって行ったのではなかろうか?という一人の科学史家に対する心理学的な関心である。

だが、この本には興味深い宝の知見がまだまだ山ほど発掘できるが、例えば「中国の医学」の章にある

 

⑤「扁鵲の時代には病気は五臓の気の不調和から起こると考えられた。五臓とは肝、心、脾、肺、腎臓であり、これに対し胆、胃、大腸、小腸、膀胱、三焦を六腑と称する。……気に病むことが病気であるというのは、古い中国の生理思想から生まれたものにちがいないが、さてこの気が何であるかというと、現代の学術用語には見あたらない。西洋の古代医学のプノイマということばは、ほぼ中国の気にあたっていたように思われる。かんたんに言うと、気は二元論の立場から生まれたことばであって、物質と対立する概念である。」

⑥「経絡という用語はすでに『扁鵲伝』にも出ているが、これは動脈や静脈ともちがい、現在の医学ではそのままでは実在しない。ところが経絡上の部位に施術を行うと、かなりいちじるしい効果があることは疑えないのであって、完全に一致するわけではないが、経絡は部分的に現在の交感神経系統にあたるものと考えられる。中国の医学ではもちろん神経という思想はないが、鍼灸は交感神経を刺激して治療する方法であり、中国人は長い経験のあと、どの点を刺激すれば最も効果的であるかを知ったのである。」

 

鍼灸治療は交感神経を刺激する方法である」という知見が非常に興味を惹かれるものである。

ところでインターネット上で面白いブログを綴っている従心の老婆が腎臓結石で入院したとの情報が入った。何でも腎臓結石から腎盂炎になったのだそうだ。

それに対して鍼灸師を自称する常連のコメンテーターが「退院したなら脛の胃経を整圧しなさい。灸でも良いです。」と書き込んでいたのに初心者の私は興味を覚えた。

「どうして腎臓結石の腎盂炎で胃経なのだ?」と。腎臓なのだから泌尿器であるし腎経や膀胱経ではないのだろうか?と。また、腎臓結石や腎盂炎の特効穴だと聞く「京門」ではないのだろうか?と。

鍼灸治療の配穴は治療家によって個性があるとも聞くから腎盂炎に対して胃経の脛という判断にも何らかの根拠があるのかも知れないが、「腎臓結石で腎盂炎なのだから腎経や膀胱経!」のほうが解りやすいといえば解りやすい。最も「腎臓結石だとか腎盂炎の特効穴」だという「京門」は腎経でも膀胱経でも無く「胆経」であり「胆」というのを「胆臓」だとしたならば「消化器系」ということになるが「京門」は腎盂炎の他にも生殖器に効果的だという話だから複雑ではある。

最も、仮に想定してその従心の老婆と自称鍼灸師が実際に面会していて腎臓の障害から下腿が浮腫んでいるのを見た自称氏が「脛への手技を」ということで「胃経の脛」なんてことを書いたのだとしたならば、そこで必要な知見は胃経などという経絡的なことではなく浮腫を除去するためのリンパへの手技だったかも知れないが、飽くまでも私の仮想の話でしかない。

そこから連想を繋げてみたのが安冨歩先生の「孔子老子に関する講義」で知った『老子』の「道可道也  非恒道也  名可名也  非恒名也」で、わたしの勝手な解釈だと「非恒道也」の「恒」というのは儒教の「五恒(常)=仁、義、礼、智、信」でこれが「恒(常)=絶対」じゃないのだと言ってるのだと考えた。つまり「道可道也  非恒道也」というのは「道というのは歩ける道を言うのであり、それは恒ならざる道なのだ」ということで例えば主君から「死ね、腹を切れ」と言われても「上意下達」ということを絶対視し恒とすることなく「それは出来ない」と断って構わないという思想なのだと思ったし、その「道」というのは現代の日本語でいう「人道的」だとか「道義的」という意味内容と同じであるように思えた。

そして「名可名也」の「名」というのは「名家」の「名」で、だからやっぱり諸子百家の思想だと思うわけだが、例えば公孫竜の「白馬非馬」みたいな「<白馬>と<馬>は違う名前(言葉)なのだから違うものだと扱いなさい」なんてのも「そんなことは出来ない」と断って構わないという思想だと考えた。違う名前(言葉)だからといって絶対的に違う対象だなんてことは恒(常)ならずと言ってるのだろうと考えたわけだ。

だから日本の戦国時代に主君から「死ね、自害を申しつける」と言われて素直に従ったとか第二次大戦で天皇陛下の詔として特攻していった神風兵士は孔子的(儒教的)ではあったが老子的(道教的)ではなかったと言えるのかも知れない。

孔子的な命令規範を拒絶する老子的な発想は「死なせてはならない!」との思想を背景にしているわけだからヨーロッパ的な「自由の思想」とは完全には合致しないかも知れないが基本的人権とは重なっていくものだと考える。「東洋的自由の思想」と呼んでいいものかも分からない。

孔子的な思想と均衡を保つような老子的な観念が老獪だとか老猾と重用されるのか、それとも老害と排他されるのかは状況次第かも知れない。「死ね!」という他者の意図に「非可道也」と従わなかったがゆえに老子は何百年も生きられたとの伝説が生まれたのではなかろうか?

そうした「恒(常)ならず」との老荘思想に繋がって行く面で捉えることの出来るのが「腎(泌尿器)疾患に胆(消化器)の反射点を用いる」という中医の方法だろうか?などと広げてみた次第なのだが……。「胆と名がついているからといって胆臓系だとか消化器系だとは限らない、恒(常)ならず!」とか、ね。

安冨歩先生の講義録では今、マイケル・ピュエットの『ハーバードの人生が変わる東洋哲学』という本が凄く売れていてハーバード大学では東洋思想の講義が凄く人気なのだと言っていた。

私の考察もいつの日かハーバードに繋がっていく日が来るのかも知れない…