グレイの『解剖学』
1918年のヘンリー・グレイの『解剖学』がネットで公開されている。
興味深い目次を転載すると
序論
解剖学の参考文献
Ⅰ. 発生学
Ⅱ. 骨学
Ⅲ. 靭帯学
Ⅳ. 筋学
Ⅴ. 脈管学
Ⅵ. 動脈
Ⅶ. 静脈
Ⅷ. リンパ系
Ⅸ. 神経学
Ⅹ. 感覚器官と外皮
XⅠ. 内臓学
XⅡ. 体表解剖学と体表マーキング
100年前の書物だが実に興味深いものがある。それは1543年のヴェサリウスの『ファブリカ』をも含めて「解剖学」という学問領域への関心に結びつくものだが、久しく遠ざかっていた「解剖学」へ私を再び誘うものである。
私の知るSさんはグレイの解剖学を「解剖学書の最高峰」と呼んでいたが、その真意は不明。しかし、「Ⅰ. 発生学」と「XⅡ. 体表解剖」を除いたⅡ~XⅠ までは人体の器官別の分割なのだと思われる。
「XⅡ. 体表解剖」も私のような初心者には極めて魅力に富んだ未知の領域だと思われて何が書かれているのか俄に想像することすら不可能だ。
だが、添付された体表解剖図の「ナジオン」だとかの専門用語を拾って検索していくと例えば「歯科矯正医師」だとかがその言葉を使用しているあたりに突き当たる。
つまりは体表解剖のナジオンだとかポリオンだとかの目印は「矯正」つまりは異常形態から正常形態への復元に活用されるポイントなのかな?とか外科医がメスを入れていく際の内部の構造物の位置との関係を示す目印なのかな?といった臆測が働きはじめる。
そして私が今現在つかっている学校の解剖学の教科書の構成に目を転じると
第1章 人体の構成
第2章 循環器系
第3章 呼吸器系
第4章 消化器系
第5章 泌尿器系
第6章 生殖器系
第7章 内分泌系
第8章 神経系
第9章 感覚器系
第10章 運動器系
で第2章以降の器官別の分割に入る前に「第1章 人体の構成」として組織学が入ってくるわけで。
コメディカルの教科書だと侮るなかれ、この組織学の構成が器官別の分割と一対一で対応していないところが正に学問の醍醐味というか、面白いところだと強く感じることなのだが。
筋組織や神経組織なんてあるところから、呼吸組織だとか泌尿組織だとか器官の機能別に対応した細胞の区別があり、対応した組織があっても良いような気もするが、恰かも大学の学部の構成がそうした構成になっていないのと類似であるかの如くに骨の細胞は「骨組織」として筋組織や神経組織と肩を並べることは認められずに軟骨や靭帯、リンパ、血管を構成する組織としての「結合組織」として一括りにされ上皮組織や筋組織、神経組織と肩を並べるものとして組織学の学的構成の中に納められる…。
もっとも、「筋肉」や「神経」というのが人体の構造物を指示する言葉なのに対して「呼吸」や「泌尿」というのは構造物ならぬ「機能」を指示する言葉であるのだから、言うなれば前者が解剖学的用語だとしたなら後者が生理学的な用語であり、それがゴチャ混ぜになってる段階で斉一性という整合性(合理論)が取れていないと考えることも出来るかも知れないが…。筋肉や神経と整合するのは呼吸や泌尿でなく肺や腎臓なのかも知れないし。
そう考えると鍼灸の学校で使われている解剖学の教科書の目次構成は解剖学的というよりも器官系という生理学的なのかも知れず、それは鍼灸という専門領域が生きた人体の機能を見つめてきた伝統的な流れに由来するものなのかも知れない…。
ある人が学問を隠れんぼに例えていたことがあるが、正にこうした非専制的な構成が「学の醍醐味」であり「リベラル・アーツ」の本領なのだと思えてならない。
骨の細胞が骨組織として筋組織や神経組織と肩を並べられずに結合組織として括られるのは、私が日本国民として安倍晋三さんと肩を並べることが認められずに総理と一有権者として国家内に位置づけられるのに似ているのかも知れない。
「学の極意」此処にあり!何故だか坂井建雄先生を思い出した…。
つづく