プロレス

大学院受験予備校である中央ゼミナールの赤田達也さんの発信している情報で「プロレス」が大学院での研究テーマになり、実際に「プロレス」の学術研究で修士号を得ている者が何人もいることを知った。

赤田さんによるとジャンボ鶴田やケンドーカシンといったプロレスラー自身がプロレスの学術研究で修士号を取っているという。

私はケンドーカシン選手を知らなかったので早速調べたら本名が石澤常光さんといい実際にサンボやレスリングの強豪選手らしかった。レスリングでは全日本学生選手権3連覇、全日本選手権優勝という輝かしい実績を残されている。そんな強い選手がマスクを被りプロレスのリングの中で試合をしているのだ。

私自身、ご縁があって今年からプロレスラーさんたちの練習に加えていただく幸運を与えられているのだが、実際にプロレスラーというのはとても強い選手ばかりだ。

バックボーンは柔道、レスリング、空手、サンボ、アメフトetc. と様々だが、先ず何よりも強靭な肉体をしている。さらにその上で積み重ねられた技術をもっている。

だが、私がここ30年以上、プロレスの試合を見ないできたことも事実である。というのも、私はイワユル「UWF直撃世代」なのだ。私が中学生の頃にタイガーマスクがブームとなり、UWFの格闘技プロレスが一世を風靡した。

当時、芦原空手や別の実戦カラテを稽古しながらUWFの格闘技プロレスをも憧れの目で見ていた私にとって、その後の「やる側、観る側」の論争は、自分は稽古をする人間であってプロレス観戦をする側ではないと無意識のうちに遠ざかっていったのかも知れない。

だが、遠い未成年の頃に記憶を辿るならば、私は確かに新日本プロレスに戻ってきたUWF軍団との抗争を毎週楽しみにビデオに録画していたのであったし、タモリ倶楽部に時たま登場するUWFの道場風景や藤原喜明の関節技に心ときめかせていた。

その意味で『1984年のUWF』に紹介されているというターザン山本さんの「UWFは青春のシンボルなのだ!」という言葉は私の心の琴線に触れた。もっとも、よくよく読むとターザンさんの言葉は「若者というのは反抗する時期なのであって、当時の新日本プロレスアントニオ猪木に反抗するが如きのUWFは若者の青春のシンボル」といった具合で何だかジェームス・ディーンの「理由なき反抗」だとかが下敷きとなっているステレオタイプの言葉のような感じもしたが…。そもそもUWFが活動した1980年代に40歳前後だったターザンさんに「青春」を実感できたかは怪しいが。

ともあれ、大学院でプロレスについて一体どんな研究がされているのだろうか?と興味をもってみると、参考文献は先ずはロラン・バルトの『神話作用』なのだそうだ。

早速、ロラン・バルトの『神話作用』とマイケル・R・ポールの『プロレス社会学~アメリカの大衆文化と儀礼ドラマ』を発注。

ついでにWWEに関する本も。

ギミックだとかマスクを被るだとかのエンターテイメント性がプロレスの際立った特徴なのだろうか?

この多くの人々に受け入れられている「プロレス」という文化を「プロレス」自体から解き明かすことなく空手やボクシングの論理から説こうとしてしまうことは「藁人形論法」に陥るのかも知れない。

メキシコのプロレスラーがマスクを被るのはマヤやインカやアステカの仮面の文化と相関関係があるのか知らないけれど、素顔を隠すという行為そのものが、一般のスポーツ競技よりも装い演じる大衆娯楽に近い面なのかも知れない。

私もプロレス関係者に友人が沢山いるので、なかなか発言には慎重にならなければいけないのだ。