「東京学派」研究

先日、本郷の東洋文化研究所で行われた「東京学派」研究第一回ワークショップ「アジアの概念化」に行ってきた。

そこで、磯前順一さんの「内在化する「アジア」という眼差し~アジア的生産様式論争と石母田正」と、松田利彦さんの「植民地朝鮮における東京帝国大学の学知~服部宇之吉と京城帝国大学の創設をめぐって」を聴いた。

特に詳細な専門知識を用意して臨んだわけではなかったが、「東京学派」と「アジア的生産様式論争」というキーワードに惹かれて赴いたわけなのだが、東京大学歴史学派は実証性を重視する「東京文献学派」とマルクス主義的な理論性を重視する「東京学派」という二つの流れがあったらしいとのネットで得た情報のみを頼りに興味津々で東文研の三階の会場まで行った。

それで、磯前さんが冒頭に述べた「方法論的アプローチとしてラカンを」という行に意表をつかれながらも少し嬉しい気持ちに。というのも、最近、ドゥルーズだとかガタリだとかのフランス現代思想を読んでみようかと資料を集め始めたところだったので。

磯前さんの話は門外漢である私には全体的な流れ・方向性は理解できなかったが、部分的には興味深いものが沢山あり、特に今年の夏頃に藤間生大に関する書籍を出版するとの話に興奮を隠せなかった。

藤間生大は今でも100歳を超えて熊本にご存命で、磯前さんは藤間生大と親交があるそうだった。

会場での経済学がご専門らしい先生からの「日本は既に資本主義に至っているのにアジア的生産様式について今研究するアクチュアリティーはどこにあるのか?」といった質問や、天皇制がご専門らしい先生の質問にも唸らされたが、この「東京学派」に関する研究は科研費を得て続いていくようだったので、帰宅してから次回を楽しみにしつつ自分でも資料を集め始めた。

まあ、同時に読み進めているヘーゲルの「東洋、オリエント」やマルクスの「アジア的」というのがヨーロッパ中心主義的な「ヨーロッパ以外」といった外在性?の概念であるのに対して、どうも日本の論者の「アジア」という概念は「我々」というような内在性?の概念らしく。

それで、ラカンも横目で「読みたいな~」と思いつつ、塩澤君夫の『アジア的生産様式論』や『古代専制国家の構造』『歴史発展の法則』なんかを取り寄せ。
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だが、調べてみると塩澤君夫は名古屋大学の名誉教授。マルクス主義史学者としての共通項はあれども「東京学派」とは少しズレるかな?と思ったところで、ネットで「東京学派」の代表的な論者だと紹介されている西嶋定生の『古代東アジア世界と日本』の巻末にある李成市さんの解説を読んだ。

李さんの言うには「石母田正の提出した課題に正面から取り組み広域史の枠組みとして「東アジア」の理論的体系化を試みたのが西嶋定生だった」という。
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ここで、磯前さんのレジメにあった「7.東アジア論への展開~石母田正『日本の古代国家』」に繋がってきた。

磯前さんの直接の師が原秀三郎だということもエキサイティングだ。ゆっくり見て行きたい。